宮城県石巻市に昭和中期頃まで存在した墨廼江堀・横町川・浪立川の位置を現代の写真にプロットしてみたい。こうした試みは少なくともインターネットでお目にかかったことがない。それとこの三つの川の名前を知っているかたは郷土史によほど詳しいかたか、土地の古老である。古老とは言っても、恐らく私くらいまでの年代が目一杯で、地元石巻でも、若い世代に至ってはほとんど知らないことと察している。自分がやらねば誰がやる。本日はそんな意識を持ってキーボードを叩いている。ここは旧横町(現千石町)と旭町を結ぶ路地であるが、この路地こそ堀(浪立川)の跡である。所々に下水のマンホールがあるのを見ると時代の移り変わりとともに、暗渠に変遷した?のかも知れない。
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明治の頃と思われる地図をご覧願いたい。墨廼江堀は三間堀(幅が5・4メートルほどあったことが由来と察している)、或いは蛇田堀(旭町の前身は蛇田町とも言われた)とも言われた。
※石巻古地図より引用

ここは旭町と久円寺通の境目に位置する所で道がクランク状になっている場所である。浪立川は墨廼江堀と合流し横町川となるので横町川の支流と言って差し支えない。浪立川は現在小路となっているところを突っ切って旧横町~住吉新町に注いでいた。
Google航空写真に二つの川(堀)が合流する辺りを描いてみた。赤い矢印が上の写真を撮影した方向である。
これは住吉町側から旧横町方面を望んだアングルだが、横町川があったと思われるところを描いてみた。描くにあたっては、数種類の資料を参考にしたが、ほぼ間違いないものと思われる。左の白い建物は石巻市民には馴染み深いパレス食堂の裏側である。春日町には橋が架かっていたようだ。
横町挨拶
これは従姉妹から聞いた話ですが、私の曾祖母M(1855~1925)は横町で養蚕業を営んでいたこともあったということです。然らば蚕に与える水を横町川から汲んだものと推察しております。これは百年以上も前の話ですが、現在の街並みからは想像すらできないことです。それも自分の生家とは数十メートルしか離れていないところに人工の堀があったわけで、高祖母R(1828~1900)の時代においても、炊事や洗濯などの生活用水にも使われたものと捉えています。これ以上の情報は石巻図書館で文献を調べるか、郷土史家や古老などに当たるしかないですが、熱意を失うことなく地道に調べて参ります。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。











